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第4回全日本男声合唱フェスティバルが終る [感想とご紹介]

第4回全日本男声合唱フェスティバル
 2010年の宮崎で開催した第1回から1年おきの開催が、2014年の岡山で毎年開催に変えたので、今年2015年に第4回、来年は高知で第5回を開催するとのこと。今年1月に伊丹市で開催された関西JAMCA演奏会は、次回は2017年に青森県八戸市であるから、男声合唱団も忙しくなる。
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第4回全日本男声合唱フェスティバルのプログラム(表紙)

男声フェスの2日間
 フェス前日(7月4日)には合同合唱の講習会があるので、朝7時過ぎに家を出て京都に向かった。
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初めて見る京都コンサートホール

 合同合唱は、浅井敬壹は多田武彦作品から5曲、広瀬康夫はアフリカン・アメリカン・ソング3曲とバーバーショップから2曲、私は広瀬講座に入ったが、5曲中でステージで初めて歌う3曲を自習して行ったが、細かいところで間違って覚えた箇所があり、自習の限界を感じた。
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合同合唱の両指揮者挨拶

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浅井講座のステージ練習

 講習会後に、ホールのホワイエで交流会があった。
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交流会での両指揮者

 交流会の場では、見知った顔に本当に久しぶりに出会ったり、たまたま一緒になって飲んだ人と名刺の交換をしたりした。そのおかげで、交流会後、京都男声合唱団のメンバーの仲間に入れてもらって飲みに行くことが出来た。このように自由に動けるのが個人参加の良いところ。京都男声合唱団の皆さん、ありがとうございました。

本番
 北海道から宮崎まで、24団体が集ってのフェスティバルは壮観だった。さすが全国からの精鋭の演奏は、合唱祭とは大違いで、どこも特徴があって見事なものだった。
 さらに、広瀬康夫のアフリカン・アメリカン・ソングとバーバーショップは250人、浅井敬壹の多田作品は450人、とステージが一杯になるほど、実に壮観だった。
 24団体の単独演奏では、多田作品を歌ったのが4団体プラス合同、横文字の曲を歌ったのが3団体(「くちびるに歌を」は除く)プラス合同、と言うのも面白かった。
 なお、京都コンサートホールで初めて歌ったが、響きすぎるくらいの「合唱向き」のホールで、多少のミスは目立たないのではないか、と思わせるほどだった。

お酒のプレゼント
 伏見の日本酒メーカーからたくさんの日本酒の差し入れがあり、フェスティバル主催側の関係者で、基準不明で選ばれた8合唱団に、差し入れの日本酒の一部がプレゼントされた。
 8団体中、横文字を歌った3団体や、「オペラ座の怪人」を演出を加えて演奏した団体など、聴いていて楽しく感じられた団体だったので、納得した。

感想
 どの団も合唱のレベルが高いが、選曲にはもうちょっと工夫が要るのではないだろうか?
 横文字を歌ったのは合同も入れて、すべて広瀬康夫が関係しているのは象徴的で、聴いた人たちには評判が良かった。また、視覚的にも楽しく、見事に歌い上げられた「オペラ座の怪人」も評判が良かった。
 問題は、聴いて良いと感じても、自分たちの合唱団に取り入れようとしないのはどうしてだろう。
 団員の高齢化や人数の減少に悩む合唱団がたくさんあるのに、何も改革を考えないのは何故だろうか。
 ここは、指揮者や団の指導的立場に居る人たちの意識改革が必要で、(合唱関係者ではない)一般の聴衆を楽しませる工夫、選曲、努力が必要ではないだろうか、とつくづく考えさせられたフェスティバルでもあった。
(完)
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第4回全日本男声合唱フェスティバルin京都 [ご紹介]

今年のフェスティバルは
 7月初めに京都で開催されるとは知っていた。
  http://www.jcanet.or.jp/event/dansei/dansei-index.htm
  https://www.facebook.com/events/369544189903463/
 普段はそれほど関心も無いフェスティバルだったが、内容を知って俄然、興味を持った。合同合唱にである。
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第4回男声合唱フェスティバルのチラシ

合同合唱は
 合唱連盟のウエブサイトを見たら、2人の指揮者が振る、2つの合同合唱が載っていた。

・浅井敬壹のステージ:多田武彦の作品から
  「富士山」から、「作品第壹」、「作品第貳拾貳」
  「中勘助の詩から」から、「絵日傘」
  「柳河風俗詩」から、「かきつばた」
  「雨」から「雨」

・広瀬康夫のステージ:アフリカン・アメリカン・ソングとバーバーショップ・ソング
  Soon-Ah Will Be Done
  Were You There
  Ride The Chariot
  No More Sorrow
  When I Lift Up My Head

これは参加せねば・・・
 多田さんの曲はこれまで何度も歌っているが、アフリカン・アメリカン・ソングとバーバーショップ・ソングとは歌うことがごく少ない。さらに、聞くところによれば、広瀬氏は14年連続で参加したバーバーショップの国際大会参加を止めてこのフェスティバルに参加すると聞き、その熱の入れ方に驚いた。
 もう、これは参加するしかないと思い、合唱連盟からフェスティバルの資料を手に入れ、個人参加と合同合唱を申し込んだ。
 心配なのは独りでの音取り。本番前日の講習会(合同練習)は計4時間30分、テンポの早い曲があるので、ついて行くのが大変そうである。

夏の京都!
 フェスティバルは楽しみだが、気になるのはそのころの暑さ。
 今年は5月から真夏のような暑さが続く。夏の京都の暑さは広く喧伝されているが、7月初旬の暑さがどうなるか、今から心配だ。
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「じゃむか関西」が終了 [感想とご紹介]

「じゃむか関西」
 昨年お知らせした「じゃむか関西」の演奏会が2015年1月25日(日)に兵庫県伊丹市のいたみホールで開催された。JAMCAの演奏会には1973年の第1回からこれまで計14回参加したが、今回の第22回は2001年以来、久しぶりの参加だった。集った青森から宮崎までの男声合唱団のあちこちに知り合いがいるので、多くの懐かしい顔に出会い、まるで同窓会の感じがした。広島で歌っている小学校時代の同級生には本当に久しぶりに会った。また、東日本大震災の時に安否を確認したメンバーがいる八戸男声合唱団が次回のじゃむかの演奏会を引き受けたと聞いて、大学の男声合唱団で八戸に演奏旅行に行ったのが懐かしく思い出された。ところで、種差(たねさし)海岸は昔のままだろうか?

何を歌ったか?
 この演奏会は合同のステージだけ4ステージの構成だったが、私は何の迷いもなくア・カペラの「黒人霊歌」を選んだ。タイトルは知っている曲だけ、しかし、歌ったことの無い曲もある。アンコールも含めて6曲もあるのだから、歌ったことのある編曲が多かろうと考えたのは、実に甘かった。歌ったことがあって暗譜しているのは1曲のみ、他は歌ったことのない曲と編曲だった。そこで、昨年10月から演奏会の1週間前まで3回、神奈川から神戸に通って練習に参加した。
 他の3ステージは、共にピアノ伴奏付きの「永久ニ」(鈴木憲夫作曲)と「唱歌の四季」(三善晃編曲)、そして、オケ付きの「使徒の愛餐」(ワーグナー作曲)だった。(それぞれの曲に感想はあるが、ここには書かない。何故?ステージの陰で聴いた感想なので、それは聞かないで欲しい。)

苦労したこと
 「黒人霊歌」を歌うに当たって、指揮者は最後まで強制はしなかったが、私は是非暗譜で歌いたいと思い、3回の神戸の練習に参加して覚えた。しかし、もっとも苦労したのは2曲目の"Were You There"の最後の音だった。
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"Were You There"の最後の音を見てください

 最後の音は当然(何の疑いも無く)、私は低いほう(Low B)を歌うつもりなのだが、神戸での3回の練習中も、家で練習していても、音程的にはなんとか出せるのだが、どう考えても、客席まで届くような響きにはなっていない。私はLow Bassとして生きる道を選んでいるだけに、これには参った。
 ましてや、前日のリハーサルから最前列に立つように言われたのだが、この音が後ろからはまったく聴こえて来ないので、孤独感を感じながら歌っていた。(最前列にこの音を出せるという人は居たが、ちょっと離れているので聴こえない。) 
 前日のリハーサルが終わってから、知り合いのいる合唱団と一緒に、地元の造り酒屋「白雪」が作った地ビールを3杯飲んだ。これが良かった。 翌朝、ホテルで声を出してみたら、この低い音がそれらしく出るではないか。午前中のリハーサルでは隣のメンバーから「出てるね」と言われた。(ベースは練習の時からビールくらいは飲むべきだ、というのが私の持論)
そんなことで、本番ではばっちり歌え、面目を施した。さらに、当日突然広瀬さんから言われた"Set Down Servant"の振りもなんとかこなせて、ホッとした次第。

 そのようなことで、演奏会後の打上げも良い気持ちで、ビール、日本酒、芋焼酎と大いに楽しみ、旧知の全国の皆さんと話し、その夜の新幹線で帰宅した。これで、私の「じゃむか関西」が終わった。
(終)

追記:1976年にドイツに演奏旅行に行った時に、ステリハが終わって楽屋に居たら、共演するドイツの合唱団がビールをケースで楽屋に持ってきてくれた。すぐに飲んだが、これは嬉しかった。(共演したのはザールブリュッケンの炭鉱会社の合唱団。上手かった。)
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作曲家クヌート・ニューステッド氏が亡くなられた [感想とご紹介]

 世界的に著名なノルウエイの合唱作曲家 クヌート・ニューステッド氏Knut Nystedtが昨年(2014年)12月8日に99歳で亡くなられたことを知った。氏の作品を歌ったことは無いが、たった一度だけ言葉を交わし、氏から直接、楽譜をいただいたことがあったので、書き残しておくことにした。

たった一度の出会い
 2003年にオルフェイ・ドレンガーの創立150周年の記念行事がスウェーデンのウプサラUppsalaで開催された。記念行事の中でも主要な行事が「男声合唱に関する国際シンポジューム"The International Symposium on Male-Voice Choral Singing"」で、私はたった一人の日本人参加者として会場に居た。その会場で、楽譜を並べて座っている人が居たので話しかけると、実に気さくに応対してくれ、楽譜をいただいた。その人のお名前が、私の記憶の中にかすかにあったクヌート・ニューステッド氏であった。

いただいた楽譜
 いただいた楽譜3曲の中で"LØVETANNEN"(全4頁)の2-3頁を見ると面白い記号があるので、その場で氏に歌い方を訊ねた。答えていただいたのだが、私の英語力の貧しさから理解出来なかったのが残念だった。(氏は小さな声で歌って聴かせてくれた。)
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"LØVETANNEN"(1頁)

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"LØVETANNEN"(3頁)

 他の二曲は"Halleluja"という歌詞で始まる"Han er oppstanden"(全2頁)と、英語の歌詞で言葉遊びのような"The Boy and the Bogeyman"(全4頁)だったが、その後はどれも歌うことなく所持しているだけである。
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"Han er oppstanden"(1頁)

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"The Boy and the Bogeyman"(1頁)

氏のご冥福をお祈り申し上げます。
(終)
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「じゃむか関西」演奏会 [私の意見]

新年のご挨拶 A Happy New Year!
 明けましておめでとうございます。
 昨年10月のODの記事以降、ご無沙汰を続けてきたことをお詫びしたい。なにせ文章を書くことが多くて、手が回らないと言う事情があったため、ということでご勘弁ねがいたい。

今年もJAMCAの演奏会がある
JAMCA Concert in 2015, on January 25 (Sun) in Itami Hall
 今月の1月25日(日)に、伊丹ホールで「じゃむか関西」と銘打った演奏会がある。JAMCAの演奏会にもこのところ足が遠のいていたので、久しぶりに参加することにした。
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「じゃむか関西」チラシ

「じゃむか関西」
"JAMCA Kansai" Concert
 この演奏会は、グループ別合同「鈴木憲夫:永久二(とこしなに)」(指揮:樋本英一)、「黒人霊歌」(指揮:広瀬康夫)、「ワーグナー:使徒の愛餐(オーケストラ付き)」(指揮:船曳圭一郎)と、全体合同「三善晃:唱歌の四季」(指揮:安井 直人)の4ステージからなる。
 平均すればほぼ2年ごとに開催されるJAMCA演奏会だから、男声合唱の祭典みたいなことをやるのが良いと私は思うのだが、「黒人霊歌」を除けば、全体的には「真面目な」演奏会を目指すらしく見えて、一般の聴衆を相手にする演奏会にしては少々重いように感じられるのは私だけだろうか?
 一方、全体合同の「唱歌の四季」は、皆に良く知られた愛らしい唱歌ばかり。ところがこれを、約400人という大人数で演奏する。どんな工夫をして、どう聴かせようとするのか、とても楽しみである。(「愛らしく」歌う自信が無いので、私は全体合同を歌わないことにした。)

「黒人霊歌」
One of Four Stages, "Traditionals"
 上のように考えると、私が参加出来そうなのは「黒人霊歌」(注)しか無い。そんなわけで、その練習のため神戸に昨年の10月と12月に、そして、今月もう一度行く。よく知られた曲ばかりだが、残念なことに、歌ったことのある編曲は1曲だけ。さらに、曲によっては私が経験したことも無いほど速く歌うので、(指揮者から強制はされないが)私としては暗譜するしかない。ということで、今月25日の本番がとても楽しみである。
(注) アメリカでは「差別」の問題から、"Negro Spirituals”とは言わず、"Traditional
Songs”とか"African-American Song"と言うようになっている。日本語には未だ適当な呼び名が無い。
(終)
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ODは4年間で劇的に変化した OD has been changed dramatically through these four years [感想]

感激的な演奏会 Exciting Concert of OD
 今年4回目の日本ツアーを行ったスウェーデン王立男声合唱団(オルフェイ・ドレンガーOD)、10月20日(月)の東京オペラシティの演奏会を聴いた。
 第1声の"Hör I Orphei Drängar"が始まって良い予感。演奏が進むにつれて、予感は確信に変わった。
 そう、セシリア・リュディンゲー・アーリンCecilia Rydinger AlinとODとは見事に一体になったのだ。素晴らしいハーモニーはもちろん、テンポや間の取り方も実に納得できる。さらに、1984年の初来日時の指揮者エリック・エリクソンEric Ericsonや再来日した2005年当時の指揮者ロベルト・スントRobert Sundもやらなかった、いや、第3回目の2010年の来日時にアーリン自身もやらなかったような、それこそ強力なフォルテッシモを聴かせてくれたのだ。大感激!

この4年間の変化 Has been Changed through these four years
 2010年の公演を聴いたときには「これがあのODか?」と思うような(詳しくは書かないが)演奏だった。そこで、知り合いのODメンバーに「日本ツアーの演奏を聴いて私は不満だが、メンバーはどう思っているのか?」と率直(?!)に聞いたところ、返ってきた回答は「指揮者に聞いてくれ」。そんなことをまさか聞けるかよ。
 その後も気になったので、ネットで調べてODの演奏を聴いたり、スウェーデンの友人が送ってくれたTV番組の録画DVDを観たり(聴いたり)して、ODの変化を感じていた。
 それだけに、今回の訪日を期待を持って待っていた。ODの変化の大きさにはマッタク脱帽!

これは3公演全部を聴かなくっちゃ! Should listen all three concerts of OD held in Tokyo
 2回目の公演は10月21日(火)に昭和女子大が学生用に設定した演奏会だったが、人見記念講堂の二階を一般に開放しての演奏会。2,000円というチケットの安さなので、満席になるかと思って急いで出かけたら、拍子抜けのするような入りだった。
 そこはさすがOD、東京オペラシティの演奏会からアンコール曲を1曲減らしたくらいで、ほぼフルの内容。十二分に満足できる演奏だった。
 こうなったら、東京最後の演奏会も聴かなくっちゃ、と生憎の雨の中を10月22日(水)に豊洲の豊洲IHIビルまで出かけた。吹き抜けの天井の高いロビー(「アナトリウム」と言うなんてあまり聞かないが)にスティールの椅子を200席(300席?)くらい並べて、コーナーにあるステージ(ここだけ天井が低い)での演奏会だった。会場に早めに着いたら。ステリハの最中だった。
 ピアノが無いのでピアノ伴奏の曲は無く、その他にも省いた曲があり、主催者の発表では約1時間とのことだったが、休憩なしで1時間15分の演奏会だった。前から4列目中央の席で歌い手に近く、特に前列のメンバーの声がはっきり聴こえて面白かった。そして、これだけの演奏会が無料というのだから、IHIさん、ありがとう!

さすが大好きなOD Viva OD!
 今年のODの演奏を聴いて、ますます惚れ込んでしまった。関西の友人が、本番と重なって聴けなかった、とメールをくれたが、東京は連日3回も演奏会があるのだから、幸せすぎて、申し訳ないくらいだ。
 それにしてもだよ、東京オペラシティでは合唱人もまあ居た方だと思うが、東京近郊で男声合唱をやっている人数は数百人から数千人という規模を考えたら、空席が目立ったのはどういうことだろう。 
 一方、昭和女子大 人見記念講堂やIHIアトリウムでの演奏会には、合唱人以外の一般の人がたくさん居て、大いに演奏を楽しんでいた。日本語なんてアンコールの「荒城の月」くらいなのに、だよ。
 要は、日本の合唱団の演奏会とは違って、美しいメロディとハーモニーの、世界でもトップクラスの素晴らしい演奏を聴かせてくれたのだ。それで、合唱にはまったく縁のない一般の聴衆でも、合唱演奏を楽しむことが出来、感動したのだ。
 まあ、願わくは、日本の合唱団の多くの団員もこのような素晴らしい演奏を聴いて、自分たちの活動に反映して欲しいものだとつくづく思った3日間だった。

 でも、不思議だよね。 日本の合唱人なら、こういう素晴らしい演奏を聴いて、自分たちの合唱の向上の糧にするとか、世界の合唱と自分達がやっている合唱とは違うと思い、改善を考えるのが当然だと思うのだが、私が話した多くの合唱人は、「彼らはすごい、でも、自分達とは違うんだよね。」と言うのを聞く。いつまで経っても変わらない「島国根性」、「内向き姿勢」としか言いようが無い。いや、いつの時代にも時の為政者がそのように仕向けている「貧乏根性」のせいと言うべきか。

 日本の男声合唱発展のヒントがODの演奏会には満載なのだ。どうやったら若手を仲間に入れるのかを考えるヒントが、毎度のODのツアーで示されていると思う。しかし、合唱団の指導陣を含めて、合唱人がODの演奏会を聴きに来ないのだから、考えるヒントも生きない。まあ、日本の男声合唱団は高齢化がどんどん進み、そのうちに消滅する運命にあるのは、良し悪しは別として、当然の結果でしょう。どうぞお消えになってください、と言うしかないですね。
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たかが合唱、されど合唱! [私の意見]

どんな気持ちで合唱活動をしていますか?
 ミッションスクールの中学校時代に音楽教師から(低い声を認められ、中学校の合唱団に引きずり込まれた。確かに男声合唱団だが中学生の合唱団では面白くも可笑しくも無く、兄貴が歌っている大学の男声合唱団とはあまりにも違い過ぎて魅力が無く、かつ、低声部がさっぱり低くないので面白くなく、教師と喧嘩して止めてしまった。
 県立の男子高校に入ったら、音大出のテナーが組担任で、彼の指導する部活の男声合唱団があったので、歌うようになった。大学時代にもそれらしい男声合唱活動をすることが出来た。大学卒業後に入団した一般の男声合唱団もまあ面白かった。しかし、指揮者が替わり、創団当時の歌いたい曲という主張も次第に希薄になり、他の団と似たり寄ったりの、日本の作曲家による、何が面白いのか全然分からないような、つまらない作品を歌うようになったので、約40年在団した合唱団を退団した。

そう、このごろの合唱作品は歌って面白く無いのだ
 コンクールに参加するために最近の作品を選ぶのは、これは作戦みたいなもので仕方が無いだろう。しかし、あなたの家族、友人、そして一般市民の皆さんがチケットを買って聴きに来てくれる演奏会なら、聴いてくれる大勢の皆さんが喜んでくれたかどうかは、次回の演奏会のチケットの売り上げにも響く大事なことでしょう。そのことをどれほどまじめに考えて選曲したか。それよりも、あなたの合唱団がここ数年歌った曲目は、歌っていて楽しかっただろうか、と問いたい。

どうすれば良いの?
 日本の合唱団ではまず、指揮者、次いで団内の、例えば、技術委員会が力を持っている。そんなところで演奏曲目が多数決で決まる。ところで、彼らの選曲基準に「聴衆」というファクターは入っているのだろうか。私は一般の男声合唱団で海外担当の役員や副会長までやった経験から言えば、役員会での「選曲」の議論の中に「聴衆」なんて条件が入ったことなんて、まったく記憶に無い。
 歌って面白く無い歌は、聴いたって面白いわけが無いのだが、こんな当たり前のことすら、日本の合唱界では誰も注意しない。ここまで言えば解決策は明らかだ。

対策
 聴衆を楽しませ、喜ばすことを徹底的に考えるしかない。世界中には、合唱団も、演奏曲目も、いくらでもお手本がある。合唱団の中で責任を持っている人は、ネットでも何でも良いから、世界中の合唱団の活動を調べ、自分で聴いて、楽しいと思うファクターをどう自分たちの合唱団に取り込めることが出来るか、知恵を絞って考えるのが良いだろう。今時のことだから、こんなことをやってみたいと思うメンバーはいくらでもいるだろう。
(完)
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三木 稔メモリアル コンサート「3つのレクイエム」終了 [ご紹介]

 三木さんを偲んだ3つのレクイエムを並べたコンサートが昨日、すみだトリフォニーホール 大ホールで開催された。3つの「レクイエム」は合唱だけではなく、弦楽合奏による<北京祷歌>、邦楽合奏による<コンチェルト・レクイエム>、そして、混声合唱のための「レクイエム」の3つである。  会場は三木さんを偲ぶ大勢の聴衆で大変盛況だったし、演奏も大変魅力的なものだった。 混声合唱のための「レクイエム」はどうだったか  男声合唱のための「レクイエム」をオケやピアノ伴奏で歌ったことがあったが、今回の混声の最終版ではオケの楽器の種類も増えて、音色が変わったことを実感した。(男声のオケ伴はシンプルだったので伴奏のメロディ・ラインが際立っていた。好みの問題とは思うが、私はそれが好きだった。)  それにしても、この曲のスケールの大きさと、時にはダイナミックに、時には繊細にと、刻々と移り変わる音の饗宴の40数分間を、総勢160人の合唱団で歌いきった爽快感は特別だった。 あらためて  この素晴らしい合唱曲を多くの合唱団で演奏されることを願いたいところだが、オケ伴にかかる経費、その音量に応えられるだけの人数の合唱団、と考えると、今回の楽譜の通りに演奏会で取り上げることは簡単ではないだろう。  そこで考えられるのは、三木さんも提唱した2台のエレクトーンによる伴奏であり、北村先生がそれに打楽器を加えた編成にした演奏なら、経費、演奏効果の点でも、また、100人以上などと言う大合唱団でなくても、十分効果的に歌えると思う。  そんな工夫をして是非、多くの合唱団に歌ってほしいと願う。 (完)
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伊福部昭の音楽 [感想]

伊福部昭との出会い
 いつも思うのだが、合唱を好きだと言う人と話していて、合唱以外の音楽の話にはなかなか進まないことが多いのは何故だろうか。自分の趣味を押し付けるつもりはないが、合唱の趣味を深めるためにも、分野の違う音楽に関心を持つことは大事なことではないだろうか。
 ところで、今回は伊福部昭の音楽である。合唱活動をしているだけでは伊福部昭との接点は普通には無い。私だって、伊福部の作曲による「ゴジラ」の独特の「ドシラ、ドシラ」という音楽を知らないわけでは無かったが、「ゴジラ」の映画に興味が無かったので観ていない。しかし、大好きな映画「座頭市シリーズ」を観ていたら、「音楽 伊福部昭」とあったので驚いたことがあった。
 明確に意識して私が伊福部音楽と出会ったのは、筝奏者の野坂恵子さんの演奏を通じてだったから、今から考えると、ほぼ晩年になってからの伊福部と出会ったことになる。

ところで野坂恵子だが
 1964年に創設された日本音楽集団で一緒に活動していた三木稔と野坂恵子は、1968年に二十弦筝の着想を得た。(私はたまたま、ほぼその現場に居たことが嬉しい。)
 二十弦筝は1969年に生み出されたが、1970年に21弦になって完成した(21弦だが「二十弦筝」の呼び名はそのままになった)。「二十弦筝」開発の目的は、「七音階標準」、「音量のアップ」、「音色の変化」などだが、一番の特徴は、七音階に固定することだそうだ。五線譜に対応できる楽器になったことで、筝・琴の世界が広がり、例えば、筝の本家である中国をはじめ、アジア各国の箏の主流が21絃になりつつある、と聞いている。
 以後、三木稔は二十弦筝のために数多くの作品を作曲し、日本音楽集団の定期演奏会や野坂恵子の独奏会ではほぼ毎回と言っても良いほど演奏された。私は野坂恵子の演奏が楽しみで、これらの演奏会にせっせと通ったものだった。三木稔の二十弦筝のための初期の作品の中でも、「佐保の曲」と「竜田の曲」が特に大好きで、元旦の朝に我が家では野坂恵子が演奏するこれらの曲のLPを必ず流したものである。

それがどうして伊福部昭
 三木稔と野坂恵子という最高のコンビの作品と演奏とで、二十絃箏と作品はたちまち市民権を得て、その奏者も日本中に増えていった。日本音楽集団や野坂恵子が海外へ演奏旅行に行く時にも、二十絃箏の作品は重要な位置を占めるようになった。
 ところが、事情は知らないが、三木稔と野坂恵子のコンビにいつの間にか亀裂が入ったようで、野坂恵子の独奏会では演奏曲目が伊福部昭の作品に傾斜していき、時には独奏会が「伊福部昭の世界」みたいなタイトルになったほどである。なにしろ伊福部自身、野坂惠子の二十絃箏や二十五絃箏などのためにいくつもの作品を作曲するようになったのだから。おかげで、伊福部昭の作品を最高の演奏で聴く機会がめっきり増えた。
 そんなことがあって、私は野坂惠子のおかげで伊福部昭の音楽に深く触れるようになり、それがきっかけで氏の他の作品にも関心を持ち、大いに楽しませてもらっている。
 ここから先は受け売りだが、遺作は、2004年(平成16年)初演の二十五絃箏甲乙奏合『ヨカナーンの首級を得て、乱れるサロメ — バレエ・サロメに依る』とある(私は聴いていない)。さらに、野坂恵子に献呈する予定だった二十五絃箏曲『ラプソディア・シャアンルルー』(「シャアンルルー」はアイヌ語で十勝平野の意)を病床で構想していた、との記録もあった。それが完成しなかったことを私は実に残念に思う。
(完)
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第4回チャペル・コンサートを聴いた、楽しかった! [感想]

第4回チャペル・コンサートへ行く
 前にお知らせした、知り合いの牧師さんからご案内いただいた第4回チャペル・コンサートを、6月15日(日)に横浜教会で聴いてきた。初めて行く教会にはバスしか交通手段が無いのが不便だったが、コンサートが素晴らしかったので、帰りはルンルン気分だった。

コンサートは?
 100人以上収容できる教会はほぼ満席。バーバーショップ・カルテットは、男声はSTARGAZER、混声はKALEIDOSCOPEの二つ。曲目は下のプログラムをクリックして拡大して見て欲しい。
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プログラムの表紙

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プログラムの中

 第一部のSTARGAZERは、第一声を聴いて、ああ、昨秋の東京男声合唱フェスティバルで聴いたあれだ、と分かる見事なハーモニーで、すぐに彼らの世界に入り込めた。一般の人を考慮した選曲か、「線路は続くよどこまでも」、「この素晴らしき世界」、チャップリンの「モダンタイムス」から「スマイル」など、ポピュラーな曲があって楽しめた。
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STARGAZER

 第二部のKALEIDOSCOPEは、混声と言うことで、いろいろな音色が楽しめた。バーバーショップではこれまで聴いたことが無い日本語の曲「待ちぼうけ」を複雑な編曲で歌ったが、聴衆は喜んでいたようだった。中でも圧巻だったのは、彼らのお得意のレパートリーと思わせる"Eine Kleine NOT Musik"、難しい曲だろうに何のこともなく歌い上げるところがすごい。
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KALEIDOSCOPE

 約15分の休憩中は、別室でソフトドリンクとお茶菓子が出るという大サービス!そして後半が始まった。

 第三部はKALEIDOSCOPE
 4人とも素敵な声の持ち主で、混声カルテットの魅力を存分に発揮していた。
 第四部はSTARGAZERで、教会を意識してだろうか、ゴスペルや賛美歌で知られた曲を多く歌ったのは、信者に対するサービスかもしれないが、良いアイデアだった。
 最後に2つのカルテット合同で「ウエストサイド物語」から「トゥナイト」を歌い、アンコールにも応えて、午後4時半までの予定を超えて、午後5時近くまで歌ってくれた。(無事に関西まで帰り着いたのだろうか?)
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両カルテットの演奏

 今回はたまたま、知り合いの牧師さんからご案内いただいて聴きに行ったのだが、こんな素晴らしいコンサートを100人強の聴衆で聴くのは実に贅沢な経験だった。今回の聴衆の多くは教会の信者と思うのだが、いわば、合唱人ではない一般の人が、バーバーショップの何たるかも知らないが、演奏が楽しいので喜んで聴いている、そんな様子が見えた。願わくば、もっともっと大勢の人が聴いて楽しんでくれて、バーバーショップ・ハーモニーが日本で市民権を得るようになることを切に祈っている。
(聞くところによると、この日は神奈川県合唱祭の初日で、このコンサートのあることを知っていても、合唱祭で歌うために来れない人がいたらしい。仕方が無いが残念なことだった。)
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