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野坂操寿さんのこと [ご紹介]

2017年2月3日付 日経新聞「文化」欄
 2017年2月3日付 日本経済新聞「文化」欄に、私の敬愛する筝曲者 野坂操寿さんのことが「筝進化25絃の深い音色 ・音域4オクターブ、西洋楽器とコラボや現代楽曲演奏・」載っているので、ご紹介する。(記事全体どころか、上半分でもスキャンしたデータ量が1Mを超え、ここにアップ出来ないので、肝心の部分だけ。)
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2017年2月3日付 日本経済新聞「文化」欄 筝曲者 野坂操寿さん

 この記事の中で、「最初に弦を20本に増やす決意をしたのは68年暮れ。きっかけは男声合唱団のドイツ公演に同行したことだった。聴衆が初めて聴く筝の音色に興味を示したのを見て、大事なのは形ではなく音色なのだと悟った。」とあるのは、男声合唱団東京リーダーターフェル1925が1968年に第一回ドイツ演奏旅行をした時のことである。この旅行中に、同じく同行した作曲家の三木稔と話し合った中でアイデアが生まれた、と聞いたことがある。以下は、記事の一部を、私の知識と併せてご紹介する。

二十絃筝の完成
 ドイツから帰国後、野坂さんは二十絃筝の完成に精力的に取り組み、69年春に完成する(絃の数は名前より1本多い21弦になった)と、三木さんは二十絃筝の作品を作曲し、その年の11月の演奏会で演奏した。この演奏会で野坂さんは、芸術祭奨励賞を授与された。

二十五絃筝の完成
 その後いろいろあって、野坂さんは作曲家 伊福部昭の(筝ではない楽器の)作品に出会って感動し、それらの曲を演奏するために二十五絃筝を完成させた。伊福部さんは、この楽器のための作品をいくつか作曲したが、他の作曲家の作品も含めて、二十五絃筝のための作品は100曲を超えているとのことである。
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